Atoms for Peace Osaka Nov.19 2013 LIVE REVIEW



Atoms for Peace 2013.11.19@ZEEP難波公演に寄せて


  昨今のトム・ヨークは「今が世界の終末」だと必死に伝え続けている。だからこそ「僕たちは踊り続けなければいけないし、精一杯笑わなければいけない」とも。妄想かもしれませんが、これはアトムス・フォー・ピースのライヴを観て私が最も強く感じたことです。

  乾いたパーカッションと胸にどっしり打ち下ろすドラム、加えて奏者の体ごと踊り狂うベース・ライン。原始宗教の儀式を思わせるエレクトロ・ファンクは、いちいち芳醇なグルーヴが断章する。途切れ途切れの完結しないコード進行が積み重なり組み合わさって、結果として私たちに奇妙な多幸感をもたらす。バンドの音が一体となり炸裂する瞬間にはパンクの初期衝動も感じるし、トムがピアノを弾けば何より美しくメロウな空間が現れる。ライヴでは原曲の持つ親しみやすいメロディーがより強調されている。そして吹っ切れたダンスとMCといったら! 冒頭から切れまくりのトムのしっちゃかめっちゃかなダンス。 対照的に明るく勢いのあるMCは『The Bends』期のステージを思わせる。強靭なリズム隊にシンクロして、唄声ももちろん終始張りがあるのだ。トム、若返った?

  途中でトムがベースのフリーと抱き合ったり、そう、この雰囲気はこの儀式は祝祭なのだ。中盤、ある曲ではトムが手拍子を煽り、ある曲ではオーディエンスから自然に手拍子が沸き起こる。かつてトムは「いい音楽は感情を操作したりはしない。それは『OK computer』で僕らが完璧に間違っていたことだ」と語ったけれど(SNOOZER#44より)、ファンキーに歌い踊るトムはなんだかチャーミングで、今の彼はとにかく私たちをハッピーにさせるのだ。深刻な雰囲気を強制するのではなく、ただ、こちらのストレスを和らげてくれる。そしてその場にいる誰もがおのずから笑みをこぼしていた。終始現代を覆う圧倒的な不安、そして恐怖。こういった感情は逃れがたく苦痛だ。だからユーモアで空気抜きする。

 彼らの音楽には一定のリズムの繰り返し。様々な和音の絡み合いが特徴的な形で現れる。その一つ一つの断片は「怒り」の感情であったり、「哀しみ」、「不安」、そして「焦燥」であったり、時には「孤独」や「絶望」、「虚無」の感覚であるかもしれない。一般的にひとはそういった感情が積もり積もると、突然怒鳴り奇声を発したり、衝動的な暴力をふるう。様々な負の感情で頭の中がまとまりがなくなってしまうと、それが叫びであれ暴力であれ、一つに集約することでその負荷を発散しようとするのだ。そしてコントロール不能な状態に陥れば、それは精神病だ。
 しかしだ。心にずっしりと溜まったわだかまりを、叫びとヴァイオレンスではなく、音楽とダンスという形に集約させ、笑いに落とし込むことができたら、それが最も原始的な音楽の形態であり、同時に全てではないだろうか。そもそも「音楽」とは音を楽しむと書くし、アトムス・フォー・ピースはAtomsという単語の中にトム(Tom)を含む。だからアトムス・フォー・ピースはトムそのものだし、素晴らしい音楽とは、ときに人を戦慄させ、涙を流させて、最終的に笑顔に変えるものだと思います。

  『KIDA/Amnesiac』のツアーでは、世界の終わりの到来をシリアスに厳かに伝えようとしていたトム・ヨーク。世界の終わりが誰の眼にも間近な今は、徹底的に明るく力強く、終わりを否定しようとしているように思えた。


参考映像 2013.10.13 Atoms For Peace Live at ACL Festival Special Show