穂高亜希子『みずいろ』LIVE REVIEW

 息が止まるかと思った。1曲目「恋をした男の子」の歌い出し、アコースティック・ギターと声が、透き通る氷のナイフのように胸を突く、でも「緑」で歌われるように“全てが幻覚”だから痛みはない。柔らかな「光」が差すように熊坂るつこのアコーディオンが寄り添う。ギターからピアノへ移って「水色」を歌い出した頃に気づく。穂高亜希子の声は幼き日、故郷の草原に降る雨のように暖かい倍音だ。


 「(名古屋は)繊細でない感じで、わかりやすい看板が並んでいて、その方が好きです。全部が原宿青山になったら困る……。みんな、違うのがいいな。そういうの見るとやる気出る」。街の特色を必死でさがして、たどたどしく穂高は笑う。続く新曲「風、青空」で立ち上がり暴れるアコーディオン。世界と対峙し自らのアイデンティティーを探す少年のブルースだ。熊坂のメロディーに詞を付けたという「悲しみ」では、ギターを休めた穂高のヴォーカルが際立つ。消え入りそうなMCとのギャップから、彼女と親交あるゆーきゃんを思い出した。

 ラスト、“最後に人は一人なの”と歌われる「春の雪」で、消えゆく祖国を想う「エーデルワイス」を私は連想した。そしてアンコールで再びギターを抱えて新曲「今日の終わり」。自ら「春の雪」へ返答するかのように“君の見ている空を見ている”と歌う彼女たちを観ながら、本当に愛おしい“いきもの”だなあと思った。それは二人に対してではなく、私たちも一部である自然界そのものに対してだったと思う。


その日の共演者はまずNARCOというデュオ。男女で交互に歌い、男が呪術的なギターのフィードバックを鳴らせば、女はカシオトーンにポケットピアノ、MPCを並べて、笛、鈴、カシシ、太鼓、オモチャの楽器をサンプリングしてディレイ。時折オムニコードを抱くさまはテディベアみたい。彼女のおもちゃ箱からは小鳥のさえずり、朝の光、小川のせせらぎ、夜のカエルやフクロウの鳴き声まで響く。しだいに低い電子音へ移行していくが、雷と同じで空気を震わせた時点でそれは自然音なのだ。


 ZELDAの後期ギタリスト本村ナオミは、独りでギター・リフを重ね合わせ、激しい雨、降りやんだ夜の静寂、それを切り裂く超新星の煌めき、ただのノイズ交じりのメロディーではない、実感を伴った音を編上げていく。この2組の演奏は深層意識へ降りていくような体験で、電子音楽と生演奏、それぞれの在り方を考えさせられた。


 大胆かつ丁寧にはじかれる弦の音色に、強烈な言葉がぶち込まれる。角田波健太のアコースティッック・ギター弾き語りは、普通の生活に潜む驚きや喜びをつぶさにえぐり出す。遠藤賢司が「カレーライス」で歌った世界観。あるいは80年代の「スポーツ」漫画、まだ世界が破天荒だった時代を思い出させた。どうあがいても負けの状況で逆転「ホームラン」をかますあの感じは三輪二郎や前野健太にも共通する、顔をぐしゃぐしゃに歪ませて体全体で演奏して、泣いてるんだよ、ギターが。勢いで足元のビール・グラスを倒した音さえ曲の一部に聴こえた。

 「以前初めて共演して、僕たち、惹かれあったんですよね」と笑いかける健太のちゃらさを装った発言は、穂高らの演奏を聴くその後の会場のムードをはからずも予言していた。


2015年4月17日(金)名古屋KDJapon

穂高亜希子 with 熊坂るつこ『みずいろ』ツアー