Looprider INTERVIEW

Ian F Martin interviewed Ryotaro Aoki from Looprider HERE in English.

日本と海外の音楽シーンの違い、ポップとは? ポストパンクとは? そもそも芸術が人々にもたらすもの、その意味とは?  実に興味深いインタビューだ。




Loopriderのデビュー・ミニ・アルバム『My Electric Fantasy』発売を記念して、レーベル・オーナーのIan F Martinが、バンドの中心人物、Ryotaro Aokiと語り合った。本作が生み出された過程、そして音楽的背景について。

なお二人は英語ネイティヴで、Japan Times、Red Bull Academy、The Guardianといったメディアに寄稿する音楽ライターでもあります。

意訳、要約、補足説明などのアレンジを加えた箇所もあります。原文はこちら。




1 長崎のアート・パンクMechaniphoneの新作EPを聴きながらインタビューは始まった。



RYOTARO: なんだかノスタルジックだ。

IAN:あふりらんぽっぽいよね。『URUSA IN JAPAN』がもう10年前の作品なのは驚きだ。

RYOTARO:まったく!

IAN:「東京でもこんなバンドが出てこないかなあ」って以前も思ったんだけど。でも、この芸術性とワイルドなむこうみずさを東京のバンドがやろうとすると、いつもどこか見せかけっぽく感じてしまう。

RYOTARO:当時、にせんねんもんだいが匹敵する存在だったのでは?

IAN:センスという点ではね。でもおそらくだけど、彼らにはユーモアがない。東京のバンドがファニーになろうとしても、どこか間違ってると感じるんだ。不自然(Unnatural.)。

RYOTARO:たしかにファニーではないよね。

IAN:そうなんだよ。Tacobonds,やWorst TasteといったPanicsmileチルドレン、彼らは関西ゼロ世代に対する回答だろうけど、彼らはこのMechaniphoneに近い。興味深いのは、今年のフジロックのベストアクトに、関西ゼロ世代の生き残りが多いこと。オシリペンペンズやムーンママ(あふりらんぽのピカのソロ名義)とか。



RYOTARO:とてもノスタルジックだ。2005年にあふりらんぽを見たとき彼女たちは絶好調だった。でも解散間近の頃には、たしかにすばらしいショーだったけど、何かが終わっていた。僕がライブハウスに通い始めた頃、あふりらんぽは凄かった時で、そしてその後何かが損なわれた。その間の時間には何かすごいことが確実に起こっていたんだと思う。

IAN:そのとき以来、君はその“損なわれた何か”を取り戻そうともがいている(rage against the lack of that “something”)。

RYOTARO:それは一つの大きなテーマなのかな?イノセンスさゆえにあふりらんぽは美しいんだ。フォトブックを出した時なんて、本人たちはそういうつもりじゃないのに、『なんでヌード写真集を出してるの?』って世間に騒がれた。本人たちは自分達のアートの一環としてやっていただけなのに。そのことを人々は理解しない。

IAN:今同じようなことをしても平然と受け入れられている。「へえ!グラビア・ヌードかよ。彼女らならそりゃあやるだろうね。美人だし」てな具合にね。あふりらんぽはアイドル時代が来てみんなダメにしちまう前にやってしまったのさ。革新的。

RYOTARO: 2000年初頭のバンドは日本のオルタナティヴ・ミュージックの一つの理想形だったんだ。僕にとってはね。

IAN:どこまでがcontext(前後関係、文脈、時代背景、状況)によるものだったのかわからないけど、いまの時代に再現するのは難しいね。

RYOTARO:ああ!それは音だけじゃない。Melt BananaやBorisをアメリカで高校時代に知ったけど僕はcontextなんか知らなかった。ただネットの掲示板でみんなが噂してたんだ。エキサイティングなバンドばかりの多様なシーンを想像していたが、それから実際に日本に来て彼らと話して分かったのは。そういったバンドは日本のシーンに居場所がなかったから海外に飛び立ったんだってこと。あふりらんぽはまだ国内でフォローが多い方だったかもしれないけどMelt  Bananaは明らかにそうじゃない。


IAN:そう、彼らは海外に片足つっこんでいる(one foot overseas)。君の日本のシーンへの入り口はちょうど外国人が入るポイントだね。

RYOTARO:全くジョークみたいだね。The MorningsがS×SW(サウス・バイ・サウス・ウエスト)でアメリカに行った時、みんな「おっ!日本人か。Envyは知ってるか?」って感じだったらしいけど、僕もきっと同じ様なことを彼らに言っていたと思うよ。しばらく日本で音楽やっててわかったけど、彼らの様なバンドが好きっていうリスナーは外国と比べてあまりいないんだ。






2 Borisと現在のシーン


IAN:表面的にはLoopriderは今話題に挙がったようなバンドから影響されていないようだけど?

RYOTARO: ああ、表面的にはあふりらんぽやにせんねんもんだいからの影響はない。どちらかというとシーンの幅広さ。メタル、シューゲイズ、トライバル、影響は多岐に渡る。僕の考えは甘かった。本来ジャンルとは開かれ、つながっているものだと。実用上、区分されているだけで。

IAN:君のスタンスの一環が分かる。多くの影響をどうして一枚のレコードにぶっこんだんだい?

RYOTARO:それこそ僕にとって音楽の理想形なんだ。人々はこのアルバムから2曲聴いたら、「この2曲は同じバンドなのか?」と思うだろう。それは僕にとってはおかしなことなんだけど。

IAN:すると自主イベントを組むときには、君の音楽性に合ったチョイスをしなきゃね。

RYOTARO:同じようなバンドばかりのイベントはいやだね。東京にはそんなイベントは山ほどあるし、それは理論的には自然なんだろう。でも音楽はいつだって理論的であるべきじゃない。

IAN:君がLoopriderの音楽にぶっこんだ要素を表すようなバンドを探すんだね。ポップなもの、へヴィーなもの、歪んでいるもの、そして神秘的な何か。

RYOTARO:僕は二つの違ったものを取り出して、実際には違っていないことを証明したい。メタルとシューゲイズはそんなに違わない。美学の面で違って聞こえるけど。

IAN: 僕がDJするときに似てる。最短距離であちこちへ連れて行くゲーム。音楽の好みを移動する旅だ。自然な道筋だからどうやって辿り着いたか思い出せない、みたいな。





RYOTARO:バンドというのは人々を旅に導くべきだと思う。1枚のレコードだけじゃなく、そのキャリアにおいて。例えばSmashing Pumpkinsだ。このアルバムはそういうことをしないバンドに対して喧嘩を売ってるんだ。もちろん、最終的には全てのバンドに独自の物語はあるけれど。ただそれが面白いかどうかは、彼らが自分達のしていることにどれだけ自覚的かにかかってる。

IAN:そのバンドがリスナーをどこかへ連れて行こうとするかどうか。

RYOTARO:何をしているか、そのcontextに意識的かが大切。単に「遊ぼうぜ!楽しもうぜ!」と叫ぶのは無駄だと思うよ。

IAN:みんな言ってるセリフだよね。

RYOTARO:もちろん悪いことじゃない。自然とそうなるんだけど、でも同時にそれはリアルじゃない。バンドは真空パックされて外部から影響を受けないなんて、そんなはずないだろ。気をつけないとポーズだけに見えちゃう。「他のみんながしてることはどうでも良い」って。意識すべきだよ。

IAN: ポーズを気取ってると見失ってしまう。僕らは無意識に周囲から影響を受けていて、それをコントロールしないことなんて勿体ない。

RYOTARO:僕にとって、全ては美学とcontextに尽きる。2つのバンドが違っているようで、でもよく見ると違ってるのは服装だったり、ステージでの見せ方だったり、どんなバンドと関わっているかだけだったりする。つまり美学の違いだ。

文脈について言えば。ハードコアをハードコア専門のライブハウスで、ハードコア好きの前でやるのはあまりハードコアな行為じゃないと思ってる。スタジオ・コーストでBorisを見たとき(All Tomorrow’s Partiesの日本版 I’ll Be Your Mirrorにて)、彼らはちょうどAvexからメジャー・アルバムを出したばかりだった。灰野敬二やMelt Banana、Godspeed You Black Emperorが出演するなか、彼らはメインステージに立った。けれども彼らのAvexからのアルバムの内容はJ-POPで、その曲を演奏した。Borisにノイズや実験的なサウンドを求めるファンは失望した。

同じ時間に灰野敬二が小さなテントで演奏してたからみんな彼を観に出て行ってしまった。Borisはきっと彼らを挑発するためにそのセットをやったのさ。ノイズやパンクのポイントは人々に気づかせることだ。どちらが挑戦的だと思う?灰野敬二はエクスペリメンタルを好きな人にエクスペリメンタルを聴かせた。Borisは落合Soupにたむろってるような奴らにヴィジュアル系みたいな音楽を聴かせたんだ。




IAN: でもそれは言い訳にならないかい?他と逆のことをする。ポップ・ミュージックが真のパンクなのか?それは結局ただのポップになってしまわないのかい?

RYOTARO:もちろんBorisはそんなバンドじゃないよ。次のアルバムはアンビエント・シューゲイズ、その後は70年代風のロック、そして3つのノイズ・アルバム。それが彼らのcontextなのさ。

IAN: Borisはドゥーム・メタル、J-POP、シューゲイズをやってる。君のバンドはBorisの曲名からとられてる。Boris好きだよね。

RYOTARO:とても好きだね。

IAN:しかし君のバンドは今の東京のシーンで活動している、海外ではなく。君たちは東京の現在のシーンとどういう関係性なのかい?

RYOTARO:流行っているものと真逆だよね、今回のアルバムは。今はシティー・ポップとトートバックでみんなハッピーみたいだ。5年前と比べ変わってしまった。あっという間に変わってびっくりだよ。

IAN: 311の震災をへて、人々はハッピーになりたいのかもね。

RYOTARO:それも関係あるかもしれない。10年前はポスト・ナンバーガール、スーパーカー、くるりでいっぱいだった。東京NEW WAVE2010のコンピレーションはナンバーガール・チルドレンが集まっていて、その名残を感じたよ。でもブームは過ぎ去った。これは僕の主観だよ。僕が経験したこと。

IAN:今あるものは当時のもののラジカルな要素を失っている。

RYOTARO: もともとの意味を失っている。同じことがいつの時代でも起こっているけどね。

IAN: 80年代初期に60年代リヴァイバルがあって、それからパンクが勃興した。それからRain Paradeのようなバンドが出てきた。彼らは荒々しく危険ではなかった。トゥイー(可愛い)だった。


RYOTARO: 2000年頃にインディー・バンドがやってきたことはさ。ノルマをはらってライブハウスに出る。打ち上げに行って親睦を深める。決まりきった形式さ。僕もやるし、別にいいけど、やっぱり問題もあるよね?

IAN:ヒエラルキー。

RYOTARO:そう、ヒエラルキー。他人に媚を売ることさ。弱者は強者に従わなければならない。

IAN: 先に謝るとか?

RYOTARO:そう、すいません!って。日本社会の主流の価値観で、アンダーグラウンド・シーンでは本来必要ないことさ。人々はオープンマインドになってそんなこと気にしなけりゃいい。でも実際にはある特定のシーンでは上下関係が根強いね。
つまり話は戻るんだ。「ポップとメタルを同じアルバムになぜ入れるんだ?」と聞かれたらこう答えればいい。「なぜ?一緒だと気持ち悪いのかい?」






3 Umezについて loopriderのアルバムをかける。

IAN:東京のシーンには特有のルールみたいなものがあって、グレートな音楽で溢れているけど、フィルターがかけられて、新しい音楽が出てきても似たようなものばかりだ。Umezのツアーで九州を一緒にまわったとき僕は10曲分の歌詞を書いた。振り返って読むと、僕は東京にうんざりしてるようだったな。

RYOTARO:振り返って僕のアルバムもそうだよ。物事が終わったり、何処かを去ったりするのが一つ大きなテーマかもしれない。特にかつての僕自身を殺したんだ。居心地の悪いシーンで演奏していた僕をね。

IAN:過去の嫌な思い出を洗い流したのかい?

RYOTARO:はは!シーンに合うようにすごくがんばってたよ。でも無理だった。うまく媚びを売るほど器用じゃなかった。

IAN: Umezは君のアルバムに参加してるんだっけ。

RYOTARO:彼らは僕にとって超重要なバンドさ! Loopriderが始まる前、僕が以前やっていたバンドが解散して「くそ!どうしよう? 一人でやるか?」 でもあまりいいアイデアは出てこなかった。この時点で僕は「前に進めないな」と思ってもうこれ以上はやめようと思っていた。

でもその頃、恵比寿BaticaにUmezを観に行ったんだ。君たちが彼らは最高だって噂していたから。彼らはいつも通りにプレイしてた。ノイズ、そして歌も。衝撃を受けたよ。彼らは僕が作りたかった音楽をやっていた。と同時に純粋にノイズもやっていた。同じセットのなかでさ。そんなことなんでもないって風に!

「Goodbye My Friend」は超よかった。僕の「Farewell」はそのアンサー・ソングなんだ。彼らは僕に語りかけているようだった。「ノイズとポップを同時にこなしてもいいんだ」。にーやんは素晴らしいギターソロを演奏した。パーフェクトだった。初めて観たときから全部自分にとっては完璧だった。2005年にあふりらんぽを観て以来だった。Umezがいなかったら僕はこのアルバムを作らなかった。だからUmezの二人がアルバムに参加してくれたことは僕にとってはとても重要なことだったんだ。

 

IAN:もし僕が次にUmezの作品をリリースしたら、この対談も良いプロモーションにもなるしね。ロッキング・オンが雑誌でバンドを紹介して、リリースしてプロモートするように(笑)。

RYOTARO:いや、マーベル・コミックみたいだよ! ブラック・ウィドウが『アイアンマン2』で登場したみたいな。実はコミックもこのアルバムを理解するのに重要なんだ。僕は大のコミック・ファンなんだ。アメコミはくだらなくて心をかき乱される、あまりの複雑さで人を混乱させるものだと思ってる。

IAN:くだらなさと混乱(stupid and confusing)はアルバムの重要な要素なのかい?

RYOTARO:でも本当だろ?必ずしも分かりやすいものを作る必要は無いと思っている。僕の言いたいこと分かる?

IAN:と同時に君は他人が持つ音楽への期待や要望と、自分の音楽との相対的な立ち位置をよく分かっている。

RYOTARO:僕の目的はみんなを混乱させることさ。あえてわかりづらくしているところはある。(It’s confusing on purpose)。

IAN: そう。君はただ好きな音楽を作ってるんじゃない。君が欲するものを作ってる。

RYOTARO:同時に僕は自分自身を過大評価するつもりはない。これはただのくだらないロック・アルバムさ。

IAN:後付けで考えた手の込んだ理由で、自分のくだらない音楽を正当化している部分もあるということだね?

RYOTARO:そう。

IAN:でも一理ある。でも両方できると思うよ。君は自分のために音楽を作るけど、作っている自分もcontextによって多くの理由で影響されるかもしれない。


-「Dronelove」が終わって「Kill La」が始まる。
 



RYOTARO: Merpeoplesのシャーロットがバックにいるんだ。

IAN: Merpeoplesも君にとって重要なバンドなんだよね?

RYOTARO:ああ、Merpeoplesは彼女ら自身であり続けた。シーンの中でクールかどうかなんて気にしなかった。


IAN:でも哀しいことに、彼女らはその自然体、ナチュラルさ(naturalness)を失って解散した。

RYOTARO:確かに。自分が前に心配していたことを彼らも心配し始めたように見えたのかもしれない。僕にも合わないし、彼女たちにも合わなかったんだんだと思う。だから僕はそんなことを心配しない自分を取り戻すつもりでこのアルバムを作った。でも、皮肉だけどこの曲は今まででやったもので最も「売れ線」かもしれない。

-「Satellite」をかけた。特徴的なギターソロが始まる。

IAN:これはUmezのにーやんだろ? 彼のギターソロはすぐ分かる。

RYOTARO:最高だね。

IAN:ギターソロは日本のインディー・シーンではあまり聴かれない。ださい(cheesy)と思われてる。

RYOTARO:君のイベントで演奏した時、カズマ[from Bombs & Triggers/The French Kissingers]が僕に言ったよ。「お前のギター・ソロが好きだ。ちっともださく(cheesy)ねえよ」。
僕は「本当に!?」って具合だったよ。

IAN: 君のギター・ソロは本当にださい(cheesy)。Sharkkを聴いたときも「これはRyotaroだ」と思った。




RYOTARO:ギターソロは本当に楽しい。理屈ぬきで腹にくるんだ。


-「Thunderbolt」のギターソロが始まり盛り上がる。

RYOTARO:ヴァン・ヘイレンやボストンとか大好きだから。ボストンは特に。


-曲が終わる。

RYOTARO: くだらないアルバムだな(笑)




4 この曲を好きな人を信じない


-「Farewell」スタート。

RYOTARO: このアルバムのなかで「Farewell」が好きだという人を僕は信じない。

IAN:僕もレーベルで、Hysteric Picnicしか好きじゃないという奴は僕は信じない。彼らはむろんグレードだけど、彼らだけ好きって人は、好きになっている理由が間違っている気がする。

RYOTARO:そういうこと!この曲で僕が嫌いなことを全部言ってしまってる。「これが君たちの望むものだろう?作ったから、これで僕はもう行くよ。じゃあね!」って。アルバムのcontextにおいてUmezへのトリビュートでもあるけど、同時にもしアルバム中でこの曲しか好きじゃないなら、このアルバムは理解していないと思う。

IAN:こないだ、この曲をエア・ギターで弾いていてぎっくり腰になったよ。

RYOTARO:そういうこと言うと理解されないことが多い。ギター・サウンドは同じだ。そんなに違わない。そこから、だったら他の曲はメタルっぽすぎるのか、とか、「Farewell」はシューゲイズっぽいから好きなのか、とか。君にとってメタルとは何?シューゲイズとは何を意味するんだ?って話になってくるんだと思う。

IAN:彼らは音楽シーンから色々持ち込んでしまっているんだ。君がこのアルバムで作ったフレッシュなcontextが理解できていない。

RYOTARO:つまるところ、「本当にあんたは音楽を聴いてるのか?」って話なんだ。酷い発言かもしれないけど。「音楽を楽しもうぜ! ただ楽しもうぜ!」って人々。僕が言いたいのはさ、本気でそう言ってるのか? 純粋な主張に聞こえるけど、実は違うんじゃない? たぶん、彼らは本当の意味で音楽に魅せられているんじゃないんだ。その付属物が好きなんだよ。(Perhaps they’re not really attracted to the music but to these things that are attached to it)


IAN:自己満足した奴らは言う。「僕はただ気持ちがいい音楽をやってる。知的に分析したりしないよ」。彼らは気づかないうちにオウム返しすることにふけっている。彼らの周りの音楽シーンという本当に退屈なもの全てにさ! 何も分かっていないし疑問も持たない。

RYOTARO: Umezのこと、人に媚びを売ること、ギターソロのこと、他に話すことある?


5次回作について



-1986年の日本のゴスバンドMadame Edwardaを聞きながら


RYOTARO:2年後にはこんな音楽をやっているだろうね。

IAN:君はすでに次回作にとりかかってる。いくつかは書き上げ、録音した。そうだろ?

RYOTARO:ああ、次はドラムのSean [Sharkk]と作ったハードコア・ノイズアルバム。Sachiko [Umez]も一曲参加している。その次は長尺のインストゥルメンタル。その次はたぶん自分一人でやるゴス・アルバム。そしてそれと同時にフル・バンドでのへヴィーでださい(cheesey)ロック。マーベル・コミックみたいに、フェイズ3まで構想を練ってる!

IAN:その時点でどれだけファンが残ってる?

RYOTARO:いないだろう。でも最終的には興味深い、映画か本みたいな、面白いストーリーにはなっていると思うよ。同じアルバムを作り続けるようなバンドにはなりたくないんだ!

IAN:ポリシックスみたいな?

RYOTARO:(笑)。なぜ多くのバンドがそうするのかわからない。たいていのバンドはお互いの影響を平均して首尾一貫したものにしてしまう集団だからだと思う。でも映画監督はそうじゃない。様々なジャンルを撮ってても、何らかの一貫性みたいなのがあると思う。

IAN:作家主義(auteur theory)だね。

RYOTARO:作家主義的な考えが好きなんだ。ちょっと都合が良い話だけど。アイデンティティさえあれば作品の質は問われない。

IAN:そっちの方が良いよ。良くできてるけど何もアイデンティティがないものよりは、アイデンティティがしっかりあるクソの方が好きだな。

RYOTARO:チーナというバンドの絵里さんと話したんだけど、誰かに曲を書いてもらって有名になるくらいなら、少しの客の前で自分たちの曲をやりたいって。自分で作ったものだってわかるから。

IAN:誰のための音楽かってことだよね。 顧客のためにあるのならお笑いのほうがマシだ。

RYOTARO: 2つのことが音楽で進行してる。一つは「僕の感じていることを聴いてほしい」ってミュージシャン。それはそれで良いと思う、他に何か引っかかれる部分があれば。それがないと、だれかの退屈なフェイスブックのフィードと同じ。下北沢に行けば、アコースティック・ギターを持ったそういう人はたくさんいる。ぞっとするね。
ロックはエンターティメントであるべきじゃない。ロック・バンドは客をもてなすべきじゃないんだ。ポップ・ミュージックならそれでもいいけど、ロックでそれをやるとそもそものロックの存在意義に反している気がするんだ。ロックインジャパンフェスに行くと面食らうね。ロック・バンドが客をもてなしてる。そのメンタリティーがライブハウスにまでしたたり落ちてくる! それがもう一つのこと。

IAN: “Call And Response”の意味は、バンドとオーディエンスの関係性。道半ばまでは行くけど、お客さんも歩み寄る努力をする必要がある。

RYOTARO:「わかりやすい」ことが音楽に求められる。でもそれがなんだってんだ?

IAN:結局は「自分のために音楽を作っている」って言っているバンドたちなんだんけど、彼らは音楽の事を真剣に考えていないし、地に足がついていないから、音楽業界から良い話が来るとすぐそっちに転がってしまう。チャンスを得るとすぐにセルアウトしちまう。君がアルバムジャケットでいうように「守るものがなければ・・・」

RYOTARO:「・・・すぐに騙されてしまうだろう。」